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おこじょ山の会




 生野のとんがり山に登る予定で訪れたが、段ヶ峰への林道が凍結と雪のため、ノーマルタイヤの車では登ることが出来ず、栃原トンネルで残念し生野銀山跡を見学に変更、銀山に設置されてる寒暖計はマイナス2度を指してる。
 入館料を払って一歩坑道跡に入ると説明書きに合わせて等身大の人形が配置されてる、銀山の詳細については現地に赴いて説明を受けるか、パンフレットを読んで頂きたいが、簡単に記すと次のように記されていた。
 銀山の開抗は807年(大同2年)で1542年(天文11年)山名祐豊が銀鉱脈を発見し、織田・豊臣と引き継がれ、江戸幕府が銀山奉行を設置し、明治元年政府直属鉱山となったが、明治29年に三菱合資会社へ払い下げられ、1973年(昭和48年)に閉山されるまで掘り進んだ総延長距離は350キロを超え、深さは1000mにも及び、採掘された鉱石は70種類以上と記されていた。
 坑道を見学して行くにつれ、現代機械化が無かった時代の過酷な労働条件を見るにつれ、今の派遣労働と云う労働条件にリンクされ、いつの時代も権力者は貧しく真面目に働く労働者を食い物にして、働けなくなればポイ捨てし、利潤を追求することを思い起こされる。
 それにしても要所要所に配置されてる人形の姿がその時代の労働者をリアルに描き出してるのには驚いた。

  

    栃原トンネル上の地蔵尊                 栃原トンネル上から見る雪の笠形山方面

  

  銀山の入り口 映画に出て来る関所を思い出させる    岩屋にモッコを担ぐ人形と氷柱

             

          見学坑道の入り口                          坑道入り口横の滝

  

 狸堀として鉱脈を探すために掘り進んだ坑道と排水溝 ・坑道内に三筋の滝が出来るほど水が噴き出
                                    してる

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