別府に転居する前尼崎市で尼崎医療生活協同組合に20代から加入し、長年運営員に携わっているなか、私が所属していた支部の理事が高齢と病気によって理事を辞退するに当たって私が理事に任命され、別府に転居するまでの4年間尼崎医療生協の理事を務めた経験を買われてか、別府においても一人の理事が高齢のため理事を辞退され、別府で定数二人の理事のうち一人を引き受けて戴きたいとの要請がきた。 最初は運営委員なら引き受けても良いと行ってきたが、再三の要請に根負けして理事を引き受けることになり、その第一歩が第35回通常総代会で、その総代会にて別府の理事として任命されました。 総代会は午後からでしたが、午前中いま安倍内閣が戦争法を強行可決した安保法制についての記念講演が開かれたので、その記念講演にも参加してまいりました。 |
二宮孝富さんの記念講演 「戦争しない国」を取り戻す との題名 |
記念講演の講師は大分大学名誉教授の二宮孝富さんで、「戦争法廃止を求める学者の会・大分」に所属しており、各地で講演を行っているとの事でした。 二宮さんは強行採決された戦争法は私たちに重大な歴史の岐路に立たされていると口火を切って、戦争法は憲法を破壊し、安保国体と呼ばれるに等しい対米従属の構造になっている、その中身は憲法9条の解釈を変遷し集団的自衛権の容認するものとなっている。 しかし、日米安保条約は初めから素直に条約が結ばれたものではなく、1951年当時吉田茂首相は米国のダレスに「日本の再軍備し米軍の指揮下に入るよう言われたが、これを拒否」していたが「日米合同委員会」を設置し、日米安保による米軍の指揮下に入ることの文書化は拒否したが、口頭で指揮下に入ることを承認したのが、現在の日米安保条約の原案になっていると、その中身は「米軍司令部が戦争の脅威と判断した時、日本の軍隊(自衛隊)は米軍最高司令官の統一指揮権の下におかれる」となっており、66年前に口頭で承認した構想が今、現実のものとなっていると指摘されました。 また、日本にある米軍基地の位置付けについては、吉田・アチソン交換文書によって位置付けられ、基地権は旧安保条約・新安保条約を含む行政協定・地位協定などすべてが日米合同委員会で決められるが、米軍の指揮下に入ると言う事が明記されているので、米軍の言うがままに物事が決められて行くとも。 こうしたなか、安倍晋三が安倍内閣発足時から叫び続けている戦後レジュームからの脱却は憲法・安保無視の対米従属の深化を重視することに固守し、ではなぜ戦後レジュームからの脱却を叫ぶのかと言えば、冷戦終結後20年にわたるアメリカからの圧力があり、特に湾岸戦争のときアーミテージから金だけではだめだ、日本も戦地に行けとの叱責が大きいとされている。 そういう中で今私たちがなすべきことは戦争法によって歪められ、破壊されたものの修復と軍事的従属の日米軍事同盟を見直し、サンフランシスコ・システムの終結を図り、憲法を生かした平和国家の理想を掲げ、国民が平和への希求を持ち続ける事ですと結びました。 二宮さんの話を聞いて日米安保条約が如何に日本国民を愚弄し、日本国民の命を軽んじているかが、新聞や報道ニュースで報じていること以上に判った。 この文書を書いている今日、別府九条の会が別府駅前で憲法守れの署名活動をする日だったが、大雨警報が出ており、外はどしゃ降りで中止に。 |
大分県医療生活協同組合 理事長 楢 原 真由美さんの挨拶 |
総代会はこの一年の取り組みと決算報告が行われたあと、質疑応答と各支部からの報告が行われたあと新役員の紹介が行われ、来年度の経営方針を満場一致で確認して閉会致しました。 ただ、この一年の経営を聞いている時、新館の建設費が予想以上に経費が掛かったとの事で、予定以上の赤字決算になったとの報告に一抹の不安を感じたが・・・・次回の理事会で聞いて見る事にする。(この時点で私はただのオブザバーで私に発言権は無し) |