愛知県豊川市で男幼児殺害事件で、無罪を訴え大分刑務所に服役していた田辺雅樹さんが、8月19日17年間の刑期を終えて出所した記者会見が、8月20日国民救援会大分県本部のある保険医会館大会議室で行われたので救援会員として参加してきました。 当日記者会見にはNHKを始め11社のマスコミが取材に訪れ、17年間の思いについて各局から質問を受けていました。記者の質問@出所後の再審請求について「弁護団に任せています」A17年間刑務所での暮らしで良かったことは「色々な方から励ましや年賀状を頂いたこと」B裁判で有罪を言い渡されたことについて「有罪にいきどおりを感じている」C自白したときの思いは「警察の威圧的な取り調べで、精神的に追い詰められ、神経が参ってしまい、警察の言うがままの自白をしてしまい、今では後悔している」D出所後の思いは「記者会見への不安と出所した実感はまだない」E冤罪で再審請求している方達との所内での接触は「住吉事件の青木さんから年賀状が来た」F17年間の刑期について「とても長く感じると同時に、あっという間に終わった感じもあるが、いつごろ無罪になるのかと思うと・・・なぜ無罪だと思うのかとの再問いに「何もやってないのに有罪になることは無い」G再審請求への思いは「無実を勝ち取ること」H所内で書物を読んでいたことについて「出所後のことを考えて」I17年間刑務所での人生について「人生が無駄になった、そして両親に心配をかけた。一日も早く再審を再開して無罪を勝ち取りたい」J今後について「就職が一番」などと述べ、田辺さんへの質問が終わり、引き続いて弁護団長の弁護士 後藤昌弘が事件の概要から今日までの経緯について資料を渡して説明し、約一時間半にわたる記者会見を終えました。 記者会見を終えたあと、田辺さんと豊川救援会の方々と昼食をともにしながら意見交換をして、今たたかわれている冤罪者の無罪を勝ち取るために頑張りましょうと言い別れました。 |
記者の質問に対して答える田辺さん |
正面左から2人目が田辺さん その右が弁護団長の後藤さん |
田辺さんに変わって答える後藤さん 記者の質問に耳を傾ける田邊さんと後藤さん |
事件の概要 2002年7月28日午前0時ごろから1時20分頃までの間、豊川市内のゲームセンター駐車場で、自動車の車内から幼児の姿が見えなくなり、その幼児が駐車場から約4.5km離れた海岸の岸壁で水死体で発見され、事件から10ヶ月も経った2003年4月13日未明に同駐車場で田辺さんが同駐車場で仮眠している所を、警察から警察署へ任意同行を求められ、長時間の取り調べに対して自白し、翌日未成年者略取と殺人の容疑で逮捕された。 逮捕後に犯行を認める数多くの自白調書が作成され起訴されたが、田辺さんは公判では警察の威圧的な取り調べと、警察誘導ままの自白をしたまでと述べ、一貫して無実を訴え、地裁では無罪を勝ち取るも高裁、最高裁では有罪判決を受け、懲役17年の刑が確定し、2022年8月19日刑が満了し、大分刑務所で出所となる。 田辺さんが犯人と疑われた原因の一つが、彼は家族と家で寝ることなく、毎日同駐車場にて所有のワゴンRで寝泊まりしていたことに警察がめをつけたことにある。二つ目が事件当日に警察より深夜に駐車していることに対して虚位の発言をしていることの二点があげられている。 また裁判の過程で現場検証のたび自白通りにはならず、警察はそのたび田辺さんに自白調書の変更を誘導し、地裁ではそのため自白の一貫性が無いとして無罪となったが、高裁、最高裁では自白に使用性があるとして有罪が確定した。 |