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2009年2月14日(土)大分県(旧)大野郡清川村西中学校(1964年)卒業生が2009年3月末をもって還暦を迎えるため、同校卒業生が現豊後大野市三重町にある(ホテル豊洋)に集まり還暦の祝いが執り行われました。 私も還暦のつどいに出席するべく尼崎から帰省、中学校を卒業して高校・大学・就職とそれぞれ分れたが、今日参加された方々の現況を語り合えば、色々な職業に就かれており、特に還暦祝いにふさわしい某神社の宮司になられた方によって長寿のお払いを受けたあと祝賀会が執り行われました。 |
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会場受付風景 神前会場で長寿のお払いを |
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赤いチャンチャコの代りに赤いタオルで還暦祝い |
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中学の恩師に花束の贈呈 祝賀会会場にて |
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夜の更けるのも忘れ語り合った翌日、過疎化の波によって今は廃校となった清川西小学校と中学校を訪れが両校で学んだ学び舎は無くなり、両校とも校舎を撤去して今は村の施設が建てられているが、その建物を眺めながら、ここに校舎あった、ここに何があった等と校舎跡を懐かしみ、また私は数キロ離れたこの道から学校に来たと懐かしみ、今と違って小学校一年生になったとき田舎道を数時間かけてよくも通ったものだと感慨深く語ってた友の言葉が今も印象に残ってます。 | ||
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中学校の恩師と 右後ろが私 部屋で二次会 |
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会場のホテル豊洋 小学校の跡地 |
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小学校の閉校に当たって碑の石積は最後の在校生が、入瀬川の小石を持ち寄った物と記されてる |
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小学校から眺める九重連山 |
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小学校の跡地は村の施設に |
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中学校の跡地も村の施設に |
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両校を訪れたあと、通学路として利用してきた現在県指定の石橋や吊橋を訪れ、次の再開を約束してそれぞれの帰路に着きました。 私は田舎の土地を託してる家を訪れ、今日までのご無沙汰と礼を述べるためその家を訪れ、その家の同級生と遠足でよく出かけた御嶽山を訪れて見ようと車で出かけ、今ではすっかり様変わりした御嶽山の昔を懐かしみ語り、一旦彼の家に戻り礼を述べ、彼は本日宇都宮まで帰るとのことで大分空港まで車で送り、私は定年後田舎に帰るつもりで阪神大震災後に別府に居を構えたので別府の我が家に |
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眼鏡橋と橋の下を流れる入瀬川渓谷 |
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眼鏡橋の説明版 今は廃止となった通学路の吊橋 |
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大分県指定の眼鏡橋 |
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生誕の宮津留集落から御嶽山を望む 私の生まれた家屋敷は村道になってる |
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御嶽山山門の鳥居 御嶽山 山頂 |
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御嶽山 山頂から見た清川村の集落と久住山系 |
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御嶽山 山頂から見た清川村の集落 |
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あとがき 今回の還暦祝賀会に参列された同級生の顔はそれぞれ苦労のあとが窺え、若い顔・更けた顔と様々で、中学校卒業以来45年と言う長い年月をあらためて思い起こされた再開です。 |
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(私が小学校3年生のときまでは合川村と言ってたが、清川村と緒方町との合併問題が起こり、合川村は清川村と合併して、平成の合併問題で、現在は大分県豊後大野市清川町となっている。) |
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