55年ぶりに再会できた
野天神楽と鎮守の杜祭り


 
 

 農繁期を前に各集落の方が神楽舞を見に来ていた。正面左上が宮迫神社、右下に居る人たちはお祭りの役員さんかな?


 清川村の畑で秋の野菜を植えるため畝作りをしていると、花火の音がしたと思ったら太鼓と笛の音が聞こえて来た。私の生まれ育った所は清川村の宮津留と言う集落で、太鼓と笛の音は奥嶽川を挟んだ向かい位の津留から聞こえてくるが、音が聞こえてくる津留には神社は無い、太鼓の音を聞いているとどうも神楽の拍子に聞こえる、神楽となれば御嶽神社の下社?宮迫の神社に神楽専用の会館が出来ているのでそこかも知れないと思いつつ、取り敢えずすること(畝づくり)だけやって帰りに立ち寄ってみようと畝作りと大根・ほうれん草の種を蒔いたあと、昼食もそこそこに宮迫の神社に車を走らせると多くの車が車道脇にづらりと並び、私も他の車同様に車道脇の駐車場に止めて神社に行って見ると、桜並木の平地に神楽舞台を設けて五方礼と言う神楽舞が始まっていた。
 野天で神楽を見るのは私が小学校から中学校時代で、今から55年前になるかな?神楽は二日前の21日に清川村の神楽会館で大分神楽社の神楽を見たばかりで、一日明けて神楽を見れるのはラッキーとしか言いようが無く、それも野天の神楽で無料(神楽会館は一人1000円)で見れ(多くの方が寸志を出していたのと大野市が若干の負担をしているように右下に居た役員さん?の話し声から窺えた)、いつも持ち歩いているカメラを取り出し、写真を撮っていると俵切が始まる前から電池切れのサインが出始める。
 カメラの電池は寒さに弱いため、カメラを懐手温めながら、だましだまし神社で執り行われた祭り行事まで何とか持ちこたえたが、最後の一番良い行事にはびくともしなくなりああ・・・となったが、私が一番感動したのは神社で執り行われた獅子舞と毛槍の渡しと獅子の前で踊る稚児の舞?この稚児の舞は私も小学三年生から六年生まで踊ったことがあり、その当時を思い出していたら自然と涙が湧き出て来た。
 都会に出たら故郷を忘れてしまったと言う関西で知り合った多くの人たちが言っていたが、私は清川村が豊後大野市清川町になっても今だ清川村と言う名が忘れられず、この文書でも今まで記してきた文書は全て清川村で通してきた。
 関西で45年間生活して来たが、今だかって我が故郷である清川村を忘れた事は無く、多い年で年に3度も帰ったことがあるぐらいで、今日の神楽と言い鎮守の杜祭りと言い、幼少に味わった故郷の祭りに出会えたことに感謝の限りです。
 ああ
      なお、下の写真に演目や名称を付けていますが、間違っていたら関係者の皆様に心よりお詫び申し上げます。


     
五方礼の舞と観客

 
 
    
              五方礼の舞                                柴引の舞   荒神登場

 
    
荒神の舞 左は子供をさらって舞台を駆け回る 右は左下の子供が柴引しようという柴を振って荒神を誘う

 
 
    
    荒神が客席へ出て子供に勉強しているかと脅す風景                  魔払い(まはらい)

 
    
             魔払い(まはらい)                        誓約(うけい)の舞で天照大御神登場

 
    
 誓約(うけい)の舞

 
 
    
 誓約(うけい)の舞

 

    
               五穀舞                              俵切り(手に持っている刀は真剣です)

 
    
       俵の綱が切れた瞬間                                      大神の舞

 
    
         神事へのお勤め正装姿                                神事の舞を奉納

 
          
    可愛い正装の踊り子さん 私も55年前この正装で踊ったよ           獅子舞の披露

 
    
獅子舞と正装の踊り子

 
 
    
獅子舞と略装の踊り子

 
 
    
         獅子と踊り子が勢ぞろい                           儀式は忘れたが毛槍への神事

 
 毛槍の引継ぎ