長崎平和公園にて平和への思いを寄せる恭哉



 恭哉も中学生になると夏休みはクラブ活動等で忙しく、休みどころではないと言う、その忙しい合間のなかで、クラブ活動の休みを利用して短い間ではあるが別府にやって来た。
 昨年は6年生最後の夏休みを利用して、歴史を残したキリシタン大名として名を馳せた熊本の天草を訪れ、天草四郎ゆかりの地を訪ねたが、今回は長崎平和公園と原爆資料館を訪ねることにした。
 恭哉が小学校の修学旅行で広島平和記念公園は訪れたと聞いて、ならば長崎も訪れていればこれからの社会科授業に役立ち、平和に対する心構えが生まれるだろうと思い、恭哉の母親に長崎平和公園に行くことを伝える。
 と言うのは恭哉の母親が恭哉の疲れを心配して、クラブ活動が始まる前日一日をゆっくりさせたい思いやりがあってか、二日前に帰えらせるように言ってたのを一日延長して、帰る前日に長崎の話をすると、平和を尊ぶ娘の母親から「気を付けて行くんだよ」と許可が出た。
 平和公園や原爆資料館では戴いた資料と照らし合わせながら熱心に見比べながら見入っていた、資料館には海外の方が多く訪れており、長崎や広島に投下された原爆の恐ろしさを世界の人に知ってもらい、その恐ろしさが世界中のものとなり、核廃絶への運動になればと願いながら、私も原爆犠牲者に手を合わせ祈ってきました。
 平和公園を後にしたあと、長崎市内が一望に出来る標高333mの稲佐山公園に行き、当時アメリカ軍が原爆を投下するはずであった三菱造船所を上から眺め、原爆が投下された時の気象状況が良かったならば、投下は現在の場所ではなく造船所に落とされたはずだと言う話を熱心に聞いていた。
  

     
     原爆犠牲者の礼拝堂前にて                           平和の像の前にて 左が私 右が恭哉

    
      平和公園の噴水 噴水の中央に平和の像が見える        原爆爆心地の原爆犠牲者の塔

            
 原爆投下地点の母子象と破壊された神社の山門
 
    
 原子爆弾が爆発した瞬間に約4万度で焼かれた地表
 
    
     投下された時床に落下して壊れた柱時計 投下時間の          映像と資料を見比べながら見入る
     11時02分で停まっている
 
               
            投下された原爆の模型(同じ大きさ)         模型の中 中心部に小さなプルトニュームの模型が
                                           ある、このプルトニュームがはじけた時に、プルトニューム
                                           を包んでいる他の放射物質を燃焼して、より大きな
                                           破壊力を生み出すのが原子爆弾 破壊力を生み出す
                                           時間はほんの数秒
 
    
      原爆投下時点で停まった柱時計                   原爆による放射線被害の実態を映像で見る
 
    
     戦争に至った年代別資料を見る                    稲佐山の山頂(三等三角点)にて
 
    
     展望台で長崎市街地と展示されている写真と見比べる                  別府を後にする恭哉