恭哉が中学2年生の時別府に来て以来4年間高校の受験やコロナ感染症の関係で他府県への移動が制限され、別府に来ることがかなわなくなった。 恭哉の高校入学祝いにと私が大阪に出向こうとしてた矢先に世界的にコロナ感染症が蔓延し、今日やと同様に他府県への移動が制限され、日本国民すべてが生活に必要な場合をのどいて自宅への足止めにあい、この4年間は電話のみの声聞きとなっていた。 21年の10月頃から感染症も落ち着きを見せるなか、恭哉が高校生活最後の冬休みを利用して短い時間ではあったが逢いに来てくれた。思秋期の顔や体形の変化に中学までの幼顔を見つけられるか心配しながら別府駅で待っていると、顔も体系も変わらない私を一早く恭哉が見つけてくれて4年ぶりに再会、再開したときやはり恭哉の顔立ちや体形は4年前と違って成人を迎える大人顔になっていた。 4年前までは来るたび別府市内を歩き回って覚えていた市街地は、今見れば大きく様変わりしていると恭哉は言うけれど、依然とほとんど変わってないよと言うと、そうかな〜と首をかしげながらおばあちゃんの墓参りをしてた。 |
大阪には砂浜が無いと波打ち際まで行って遊んでいた 四国八幡島へ行く船をみつめる |
豊中の家に帰る列車の時間をホームで父に連絡しているのかな? |