3年前職場の恩師であると同時に労働運動の指導者でもある井上昌三さんが亡くなり、井上さんのお別れ会を開催を考えているとき、コロナ感染症拡大に見舞われ、他府県への行き来が規制されるなどで、お別れ会の開催が出来なくなり、現在でも感染者拡大が続くなか、政府は経済優先に規制緩和を行ったため、他府県への移動が可能になり、9月3日に大阪淀川区十三でお別れ会をすることになりました。 お別れ会に参加するにあたり、娘夫婦と孫たちが豊中に住んでいるので連絡を取り、お別れ会の翌日夕食会をすることに、当日は日曜日のため、私が尼崎に居住していた時、地域活動で一緒に活動していたご夫婦と昼食をとりながらお互いの近況を語り合い、そのあと今このようにホームページ作成が出来るようにご指導いただいたパソコンの師匠を訪ね、長い月日のご無礼を申し上げ、師匠の奥さんが体調不良のため短い時間ではあったが、お互い好きで一緒に遊び歩いた野山の近況など語り尼崎を後にしました。 夕方5時に娘夫婦と孫二人と3年ぶりに再会(恭哉は半年ぶり)し食事会へ、食事会会場はすごい人で、食卓の待ち時間は20分以上と凄い行列で、思案するもこの時間はどこも同じと待つことに、感染をとりながら孫洸聖と話をしていると、私が洸聖と会ったのは3年前宇佐市に居た姉の葬儀以来とのことで、洸聖は今では小学3年生で楽しく学校生活を送っているとのこと。 この冬は兄の恭哉と冬休みを利用して別府に行くからねと、そして機会があるたび兄と別府に行き、兄が4年生から一人で別府に行けるようになったように洸聖も旅の練習をすると言ってた。だんだん頼もしくなっていく洸聖と大学卒業後の就業が気になる恭哉、コロナ感染症拡大のなか、娘夫婦親子や地域活動での夫婦・パソコン師匠に会えたのは井上昌三さんのお別れ会のためと思っています。 |
恭哉と洸聖 右端がおじいちゃんである私 |
左が私 洸聖と恭哉 右が賢哉お父さん 笑顔の洸聖 |
地域活動家夫妻との食事会 左が私 ごめん!パソコン師匠との写真を撮るのを忘れた。 |