安心院の七不思議



 
 大分県宇佐市安心院町には安心院小学生が安心院の七不思議と言うパンフレットを発行し、多くの観光客の誘致に努めています。
 そのパンフレットを戴き、パンフレットを見て見ると安心院支所を中心に昔からの伝説で安心院七不思議と記されている、これは面白いと思ってパンフレットに記されている地図を頼りに回ることにしたが、パンフレットには支所を中心にあるので、取り敢えず支所の振興課で一番良い回り方を聞くために案内を乞うと、支所が出しているものではなく、訪ね歩いた事が無いので地理的には判るが何処からどう行けば良いかは判らないと言う。
 余談ではあるが小学生が観光客の誘致に努めているのだから、職員の一人でもパンフレットを頼りに七不思議を回って観光客に応えられるよう努めたらと思ったが・・・パンフレットを頼りに回るがパンフレットに在る地図はそれなりに大まかなため一つ筋を間違えたりで多くの時間を費やしたが、間違ったと思う地点で土地の人に聞くと親切に教え戴き、職員とえらい違いやなと・・・でも結構楽しかったよ。因みに私は別府から訪れています。
 

 @は鳴かなくなった蛙さんと言う箇所で、その昔北条時頼さんが全国を旅している途中、安心院の最明寺で病気になり、寝ていると蛙がゲロゲロとうるさく鳴くので和尚さんがうるさいとお経を唱えると蛙の鳴き声がピタッと止み、それ以来一度も鳴いた事が無いと言うお寺と記されている。
 



   
 
 Aは謎の形の五輪塔と言う箇所で、今から八百年程前に、時頼の家来の墓が下市の常副に在ったが、その墓を汚すとバチが当たると言われ、今は時頼が造った最明寺に安置し県の指定文化財になっていると記されている。

    

 

   Bは乳不動 おかゆを3日そなえると言う箇所で、その昔お嫁さんにお乳が出ないので三女神社にお参りに行き、お祈りすると、やさしい声がして不動明王にお粥をお供えしてお祈りするとお乳が出るようになったと・・・今でも不動明王にお粥を供えていると記されている。
 
           

 


 
 Cは空から落ちて来た?三柱石と言う箇所で、その昔高天原と言う神様の国に天照大御神と三人の娘が居た、ある日天照大御神が天安河原の石を持って、三人の娘に「この石が落ちた所に座りなさい」と言って石を落した。その石が三女神社の境内にある三柱石だそうだと記されている。
 
    

 
 Dは不思議な水のお水様と言う井戸と言う箇所で、その昔三柱石と一緒に三人の女神様が降りて来た、その時三人の女神様が生まれた時に使った産湯も女神様を追いかけて降りて来た。この井戸はどんなに日照りが続いても枯れず、どんなに大雨が降っても濁らないらしいと記されている。



 
 
 Eは不思議なおいのり安心院の行き仏の箇所で、今から400年ぐらい前、千代松丸が大友宗麟に殺されてしまい、千代松丸のお墓の代わりに特仙堂の近くに石碑を建てた、すると上市の人が亡くなる度に低いお経の声が聞こえた、これが安心院の行き仏と言う不思議だそうだと記されている。



 
 
 Fは真夜中に鉦の音が鳴る快長院の箇所で、快長院の不思議は真夜中に鉦がらると、昔、快長院養賢と言うお坊さんが病気のお世話をしてもらったお礼に、入威の行をして、水がたくさん出るようにお祈りをした、養賢さんが死んで数日後水が溢れ出した。上市の人は泣いて感謝したと記されている。



 
 
 上記の謂れは小学生が記した分をそのまま記載したが、固有名詞に若干誤りがあったらご容赦願います。