宇佐市院内町の平家の里
大門平家7人塚を訪ねて



 
 宇佐市院内町にある龍岩寺を訪れた時、駐車場脇に「院内町大門平家7人塚」祭りと記された幟が数多く立てられており、そして民家の庭には幟の横に「当家」と書かれたものもある。
 平家とは源平合戦の平家の事だと思うのだが、なんでこんな所に平家なん?と思いながら、コミュニテーバス停の横に何か説明文らしいものがあったので呼んでいると、民家から男性が下りてきて、当家とは平家の血筋を引いている子孫の方で、いま出かけたので詳しい話はその方に聞くのが良いのだが、この先に平家7人塚があるので見に行ってきたらと言うので礼を述べて平家7人塚へ。
 教え戴いた道を行くと塚の周囲をしめ縄で囲った個所が現れ、そこには苔むした小石が積み重なれた塚と祭壇があり、その横には神楽の舞台と思えるような舞台があり、その横には7人塚の資料館と記された入口があり、覗いて見ると数多くの写真が展示されていた。
 それでも何で平家7人塚なんと食事をしながら話しているとき、一台の軽トラが来たので廃台置き場からお尻アテニと廃台を拝借していたので、元の場所に返そうとしているとき、「良かった、まだ居てくれて」と言うので、怒られるのかなと思っていると、当家の主人が、平家7人塚の説明にわだわだ来てくれたとの事。
 昼食もそこそこに先ほどの塚まで戻り、少し汚れた椅子を持ち出して座りながら7人塚のの話を聞く羽目に、当家の方が話し始めて間もなくまたも一台の車が到着、下りて来たのは先ほどの駐車場で話をしてくれた男性の方で奥さんと一緒、奥さんが早速資料館から紙コップを持って来て冷たいお茶を振る舞ってくれることに、こうなるといけません、最後まで話を聞かなければ帰ることが出来ません。・・・
 当家の方は平家7人塚・経塚35代 門脇正夫さんと言う方で、西日本平家会の会主で今は民宿「院内平家の里」を営んでいるとの事。
 門脇さんの話を要約すると門脇の姓は平清盛の弟 平教盛公(門脇中納言)の地を引く子孫で、源平合戦で敗北した平家が各地に残党を残し、平の伝承を伝えるべく平の一門門脇家が最後に辿り着いたこの地、行基菩薩が開山した龍岩寺や仙人窟である地では安全であると大門に辿り着き、合戦で亡くなった一門の霊を慰めるべく、大門に塚を築き、門脇中納言の地を引く門脇家が35代に亘って守り抜いてきた塚を平家7人塚と呼んでいると言う事でした。
 また、門脇さんの話によると大門地区の住民は平家の落人集落として平家の里を大事に守って、毎年4月には平家の鎮魂祭として盛大なお祭りを催し、お祭りには琵琶の語りや神楽を舞って先祖の供養も行っていると言ってた。

 

        
       小石が積み重ねられた平家7人塚                 門脇さんがたてた碑        平家上陸の地の幟

     
   塚の後ろに流れる小川横の大石に刻まれた印字              平家7人塚について説明する門脇正夫さん
   石の白くなっている所に彫られているのを写真にしたのを        その話に耳を傾ける姉二人と村人
   他か転用して貼り付けた                            門脇さんの後ろが小川で、その右に塚がある