先日、宇佐市院内町にある「平家7人塚」を訪ねた時、平家塚を守っている方が「宮崎県の椎葉村に伝わる平家の落人伝説より院内町の大門の方が信用性がある」、と言われていたので、面白そうだなと思って椎葉村を訪ねてみました。 椎葉村は別府から約165km、行きは国道10号線から国道265号線を椎葉村まで行くことにして別府を8:20分に出た、椎葉観光施設に着いたのが昼前で約4時間の道のりだった。 椎葉村は清川村に似ているのかなと思ったが、椎葉村に入ると山は急峻で谷は深く、清川村には無い景色が広がっている。平家伝説が残る観光の村と思っていたが、観光地によく見かける観光案内図見たいなものは見受けられない。何処へ行けばそれらしい伝説施設があるのかと慎重に車を走らせていると椎葉民俗芸能博物館の看板が現れたので博物館の駐車場へ。 受付で平家伝説の話を聞くが、椎葉村には平家の何々が、また平家の何々氏がと言ったような家は無く、博物館の隣にある鶴富屋敷唯一の平家の子孫として代が続いていると言っていた。 とりあえず入館料を支払って館内に入ると、今までの雰囲気がガラッと変わって、おごそかな雰囲気を醸し出し、椎葉村にある地域の伝統というか、民族芸能の実技的なものやビデオが流されている、特にびっくりしたのが清川村には神楽が一つしか無いが、椎葉村には26の神楽座があるという、椎葉村の地図を見れば山間の集落に全てにあるように見受けられる。 順路の通り博物館の民芸物を見て館外に出ると「しいば土俵」と記された立派な土俵が現れ、その横の階段の向こうに朱塗りの神社が見える、階段を上ってみると「椎葉厳島神社」と記されている。土俵も厳島神社もその謂れを記したものがないのが残念でした。 博物館で頂いた「椎葉銀座歩きマップ」という「つるとみ通り」の各店屋が記されたマップに「しいば土俵」のことが記され、貴乃花親方の土俵入りが行われたのと日本で初のアマとプロの交流相撲が行われた発祥の土俵と記され、厳島神社については平家討伐の命を受けた那須野大八郎宗久が平家残党のために厳島神社の守護神を建立したと記されている。 鶴屋屋敷では那須野大八郎の妻となった鶴富姫の屋敷で、今では「那須家の住宅」として築後300年の歴史を持つ国指定の重要文化財に指定されていると記されている。この住宅だけが歴史を物語る教育委員会の説明文がある。 昼食をとりながら店の人に平家にまつわるお話を聞くが、平家と言う事に限っての話は聞いたことがないという、そしてこれと言った観光施設もないが、各地域で行われる民俗芸能の踊りや神楽は見るだけの値打ちがあると言うが、それだけを見に来るには泊まり込みが必要となるにで、まずは無理かな! 他に寄るところと言えば日本百選の棚田と言っているが、道は狭く軽自動車でも難儀する場所と言うので諦め、帰りも4時間掛かることを思えば帰ることにして、ナビで自宅を検索すれば延岡周りの高速で帰れば、距離は200kmと伸びるが3時間半ぐらいで帰れるというので延岡周りで帰路についた。 椎葉村は「稗つき節」の発祥の地と言われ、昼食をした店の店内には「ひえつき節」の曲が流されており、聞けば」ひえつき節」の唄は28番⁇まであると言う。私が知っているのはせいぜい3番まで位かな? 長いドライブではあったが阿蘇の高原を走るときは素晴らしい景色に出会えて、良い一日を過ごすことができました。次回はやはり平家伝説が残る五ヶ瀬村(町)に行って見たいと思っています。 |
土俵広場から見た椎葉村の中心街(椎葉銀座街) 左上が鶴富屋敷 |
椎葉厳島神社 |
椎葉民俗芸能博物館入口 博物館横にある鶴富姫の化粧水(湧き水) |
民俗芸能の太鼓踊り風景 神楽座がある地名簿 |
各地域に伝わる神楽面 鶴富屋敷への入り口 |
鶴富屋敷(那須家住宅)にて記念撮影 |