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支援する会代表の挨拶 講演する津留民子さん |
年金裁判を支援する大分の会は11月17日大分ホルトホールで第3回定期総会を開催いたしました。 総会に当たって司会者より、なぜ年金裁判が全国で闘われるようになったのか、その原因を学習しましょうと元広島大学教授の津留民子さんの紹介があり、第1部として津留民子さんの記念講演会が行われました。 記念講演は「社会保障は民主主義国家の第一義的課題にして、社会変革の土台」と題して行われ、まず初めに自分の住居がある宇佐市を例にとって「ごみ袋」を上げ、「ゴミ袋」は税の二重払いに当たり市としては「ゴミ袋」の販売をしてはならないと切り出し、「社会保障の誕生の背景」について話を切り出しました。 社会保障と言う制度が生まれた背景には封建制や農村共同体の解体などによって、農民の貧民が肉体的、精神的、障害的働けない人が生まれたが、当時の社会はその人たちの貧困・救貧は個人の怠惰や道徳的堕落と決めつけられ、労働能力のあるものから排除、劣等処遇によって救援の抑制が生まれた、その中に置かれたのが現在でいう非正規の不安定就業、生活保護などが当たるとして、大衆的な貧困への対応が求められるようになった。 まず最初に貧困の対応として雇用の常用化、非正規ではなく正規雇用化を常態化して、それでも障碍者や働きたくても働けない方の救貧生活に対して社会を改良して、その方々が「働かなくとも食べられる、生活できる」権利を保障してあげる防貧制度の確立、それが社会保険(社会的扶養)として現れた。 社会保険には年金・健康保険・失業保険などがあり、労働者が失業したときに生活のためとして労働力の安売りをしなくても良いように労働組合作り、病気になった時には低額で受けることが出来る医療、定年後の生活を支える年金、所得税などから保障される救貧制度の生活保護など社会保険制度が設けられている。 社会保険なかで保険料の問題が出てくるが、保険料は累進的所得による所得の再配分が重要になってくる、所得の高いものは税が薄く、所得の低い者ほど税が高く貧富の差が大きくなのが資本主義、資本主義のなかで貧困の根絶を目指すことは社会保障の誕生につながって行く。 社会保障が進むなか「貧困とは何か」と言うことが問題になってくる、まず「貧困」と「貧乏」は違うと言うことであると切り出し、資本主義以前は自然条件のなかで支配階級も含めほとんどが経済的平等の中において「貧乏」であったが資本主義の豊かな社会になると「富」と「貧困」が並立されるようになり、特に貧しい国においては貧民はわずかだが、裕福な国ほど貧民が多くなってくる。(貧困とは社会の動きについていけない人を貧困と言う。例えとしてフランスではバカンスとして一週間以上休みを取っている人に比べて、その一週間にも満たない休みしか取れない人を貧困と言っている) 裕福な国は法的には平等でも経済的に不平等が拡大し、格差社会が生まれ「貧富」の差が大きくなっている。 社会保障の発展はファシズムとの闘いであるとして、ドイツでは失業者の放置が労働者のナチズム化へ、米国は失業者の救済として公共事業の立ち上げ、イギリス(1942年)も飢えは理性を失うとして公共事業で救済しながらファシズムに走らないように戦時中「ゆりかごから墓場まで」の政策を訴えて戦時に協力してもらう(1、無償教育 2、無償医療 3、完全雇用 4、公共住宅 5、年金の現金給付と国民保険)の5項目を戦時中に国民へ通知。 フランスは(1942年)1、完全雇用と全産業一律最低賃金と労働時間の削減 2、教育・医療・保健・文化・住宅・交通などのサービス 3、社会保険による所得の再配分、1960年代の北欧は福祉国家として定着していく。 では日本の社会保障はどうか、戦後も戦前制度を踏襲して国民の分断から選別主義をとり、失業や労働力の排除を行いながら貧窮は道徳的落伍者のレッテルを張り差別を作り、その救済として大企業は正社員に対して社会保険(組合健保・厚生年金)を作ることによって選別主義を行いやすいように低所得層の固定化を行うと同時に、国は国民健康保険・国民年金と言う最低限保障による固定化、そのため今では生活保護世帯より満額国民年金のほうが低くなっている。 このようななか、日本の社会保障の国民意識はどうか、1、企業主義による終身雇用 2、労働組合の賃金主義 3、政府は社会保障の充実に対して健全財政論(財源がない)で社会保障の充実には手を出さない。 今日の社会保障の課題としてまず新自由主義との闘いを、1.グローバリゼーション(労働規制緩和) 2、市場原理主義(規制緩和・自由競争)3、緊縮財政(医療・教育・福祉)による削減と(累進課税の引き下げ・消費税の増税) 4、自立支援・民営化への闘い、いまEU諸国は社会保障制度を続けていたら国が破滅すると言って日本のように社会保障政策から抜けようとしている。 新自由主義を目指している日本はどうか、日本は世界一の金余り国と呼ばれている、政府はものを言えば公的債務が1200兆円ある、だから社会保障に回す金は無いと言うが、その借金は郵貯・簡保・銀行・保険会社・公的年金などだが債務のほとんどが日銀で、日銀と政府は同体のため国は日銀に借金を返す必要は無いと言われとぃる。 今世界の金融取引は「金相場」から「貨幣相場」に変わってきているから、国は金がなくなればお金を印刷すれば良い、ただしインフレを招かない2割以下に抑えて、なぜなら日本は「円」と言う独自の貨幣だから(例えばEU諸国は一国、一国がユウーロと言う貨幣を造っているのではなく全体で印刷しているので金が無くなれば破綻するが)日本は国の債務を恐れるに足りない、困れば金を印刷すれば良いのだからと述べている。注 2018年度の世帯金融資産1859兆円 2017年度の企業内部留保447兆円 ここまでるると社会保障について述べてきたが、社会保障の機能が高揚すれば景気浮揚策になり国民生活の向上につながり、需要の増大から積極的財政政策への転換によって高福祉、必要な公共事業を進めるなかで国民生活の安定へとつながるが、新住主義では緊縮財政や安価な労働力を求めるため貧困化が進んで行くと企業は不況になるが、大企業は不況でも金儲けができるから気にしないとのこと。 今私たちが置かれている立ち位置は社会保障のなし崩しの後退にあるにも拘わらず、新しい社会を求めたり、平等、権利保障への社会運動が後退している。その理由として貧困の前で理性を失い、物言わぬ労働者になり、賃金奴隷になってはいないか、社会保障を享受出来る運動が必要とも述べている。 フランスでは62歳で定年、定年後は誰も働く人はいない、年金生活を堪能しているとのこと、働いている人は生活苦ではなく仕事が好きな人や趣味の人だけと言って話を閉じました。 |
津留民子さん 講演を聞く参加者 |