昨日まで寒い日が続き、久しぶりに陽気になったので家に居てももったいない、何処か行くところは無いかと思っていると、国道10号線を走っているとき日出町に日出城址の案内が出ているのを思い出し行くことに。
 日出城址は別府石垣城址と近いのでNHKドラマの黒田官兵衛との関わりがあるのかと思っていたが、城跡に着いてあちこちに掲示されている能書きを見ると黒田官兵衛の事を記されているものは無かった。
 

     
鬼門櫓 

 日出町は戦時中海軍の基地があった所で、敗戦間際海軍が人間魚雷として回転魚雷を開発したところだと言う事を史籍で読んだことがあるが、掲示されている能書きや観光案内には日出町が生んだ文化人の事が多く記されている。
 文化人の中で滝廉太郎の先祖が日出藩の家老職や要職に就き、日出町の龍泉寺には瀧家の墓と廉太郎の墓があると記されており、機会があれば訪れて見たいと思う。
 

    
           滝廉太郎像                                 二の丸に残る井戸跡
 
 日出城址の能書きを読んで見ると日出城は別名「暘谷城」と呼ばれ、初代藩主木下延俊が別府湾を掘割背景に築城し、その時釣鐘が鋳造された釣鐘が有形文化財となっているが、城跡しては鬼門櫓があるだけで、天守閣のあった場所は現在日出小学校となり、一つの二の丸跡は日出中学校で二つ目の二の丸館跡は観光案内所兼歴史展示館と土産販売・喫茶軽食となっている。
 
 
 
    
日出城案内板と石垣  石垣の奥は海
 

             
石垣の下は城下公園となっている
 
  また、日出町は城下町として栄えた町で、町筋にはその面影を残す武家屋敷や塀が残され、キリスト教宣教師であったザビエルが大友宗麟の招きで日出町を訪れ、ザビエルが歩いた道として整備され親しまれている。 
 

    
 街並みの武家屋敷  現在は民家として人が居住している

 
 二の丸館の観光案内所