ベトナム・カンボジアツアーに参加して

 

ベトナム戦争の遺跡 クチトンネル見学 博物館・平和村


 
 
 昨日カンボジアのシェムリアップ空港からベトナムのホーチミン空港に着いたあと、ホーチミンのホテルに宿泊し、今日はベトナム戦争の遺跡として残されているクチトンネルの見学と戦争博物館、平和村を訪ね、ホテルで軽い汗を流したあと、ベトナム・カンボジア滞在の最後の夕食会をへて、深夜の飛行機にて福岡空港へ。
 南ベトナムのホーチミン市から北西へ2時間半ほど行った所に、ベトナム戦争で米軍が敗北したクチと言う村がある、そのクチには250kmに及ぶ地下トンネルが掘られ、米兵や連合軍が北ベトナム軍のホーチミンへの進攻を阻止するため、クチジャングルで北ベトナム軍と交戦するとき、北ベトナム軍は用意周到に地下トンネルを掘り、米軍やその補完勢力の連合軍を前後左右から攻撃し、米軍を混乱させたと言う地域で今なおその名残が至る所にあり、トンネルへの侵入体験が出来る箇所もある。
 そのクチトンネル見学に際して、現地のガイドさんがジャングルに仕掛けられたトンネルや北ベトナム軍を容易に探し出すため、かの悪名高い枯葉剤を米軍が撒き、戦後ベトナム人や戦争に加わった米兵をはじめ連合軍の多くの兵士が枯葉剤の影響を受け、今もその後遺症に悩まされていると言う。
 ベトナム戦争で米国は太平洋戦争で投下した爆弾の2.5倍の爆弾と人員を派兵したが北ベトナムには勝てなかったとガイドさんは話されていたが、クチについてその実態がわかるような気がした。それは米軍が投下する爆弾の不発弾を利用して自分らなりの鉄砲や手榴弾を作り、また落とし穴に仕掛ける武器では侵略兵を殺害するのではなく精神的に参らせる戦術を採り、地下トンネルでは体格的に大きい米兵や連合軍兵の侵入が困難な小さな穴を掘り敵兵の侵入を防ぐ工夫をしてきたと説明していた。
 クチトンネル周辺では爆弾が破裂した大きな穴が数メートルおきにあり、その穴にすぐ横にはトンネルに入って実体験が出来るトンネルが数か所あり、不発弾の再生作業所や落とし穴の武器作業所などを身近に見る事が出来る。そして北ベトナム軍のトンネルでの日常生活も垣間見る施設等が実体験できる。
 戦争証跡博物館ではベトナム戦争が如何に無謀な侵略戦争であったかを物語る数々の資料が展示され、特に私が印象に残ったのは、ベトナムから手を引けとベトナム戦争を反対し続けた日本共産党と良識ある労働組合や団体のポスターが当時のまま、一つの展示場に所狭しと展示されていたことでした。当時私も日本でベトナム戦争反対や沖縄を返せの歌や、福岡県の筑紫野からベトナムへ向かう飛行場の包囲を歌った歌などを歌声サークルなどで歌ったことを展示ポスターを見ながら思い出した。
 平和村はベトナムで唯一婦人科の総合病院で、何故平和村と呼ばれるのかと言う説明がガイドさんによって行われたが、その内容はベトナム戦争の時、米軍によって枯葉剤がベトナム一円に撒かれ、その枯葉剤を吸った食料品、米をはじめ多くの野菜や果実を食したために子供の奇形児が生まれ、特に世界で話題になった「ドクちゃんとベトちゃん」の事は覚えていると思いますが、この平和村の一室にはホルマリン漬けされた多くの奇形児がいて、また他の部屋では枯葉剤の影響を今なお受けている手足の不自由な子供たちが一対一の看護師さんと生活している。
 平和村の理事長(?)さんの話では婦人科の医学が進み、数年前みたいな奇形児や不自由な子供は生まれてこないと言っていたが、これは母親の胎内に居る時エコー検査などで排除してきていると言うことの裏返しをやんわりと言葉として示していた。そのことは今でも多くの奇形を持った子供が枯葉剤の影響を受けていると言うことでもあった。
 福岡へ帰る飛行機は0時過ぎのため、昨夜のホテルまで戻り、ホテルで軽いシャワーを浴びて夕食を摂るためレストランへ、夕食のあと空港へと向かうが、今回の旅で一番退屈したのがこの飛行機に乗る時間と昨日のオールドマーッケトの散策、買い物をしない私にとっては長い時間する事が無い。
 今後の参考にと思ったのが空港で過ごす長い時間やマーケットに土産買いに行く時間があればバスの車内から市内見学をと思ったものです。

 
 ホーチミンのロイヤルホテル・サイゴン
 
    
         クチ資料館へ                                枯葉を被ったトンネルへの入口
 
 
    
           トンネルへ実体験できる                      整備されたトンネルへの入口
 
 
    
    トンネルへ下りたら私でも腹這わなければ奥へと進めない         落とし穴の武器 落ちたら太ももまで刺さる杭
 
    
トンネルの一口
 
 
    
北ベトナム兵士の戦闘合間のひと時を過ごすくつろぎ
 
    
   アリ塚に掘られた通気口 ここからトンネルへ空気を取り入れている              破壊された戦車
 
    
落とし穴の武器を作る
 
    
不発弾を利用して自分たちの爆弾や手榴弾を作る
 
 
    
     手榴弾を作っている光景 (人形)                         兵士たちの食事 名前を忘れた
 
    
     米軍のタイヤで作った兵士の履物                            爆弾のあと
 
    
トンネルへ実体験する参加者 右は私の姉
 

              
       トンネル内の食堂                          平和公園の前で
 

     
     ベトナム戦争で使われたもの                           博物館で日本共産党のポスター他
 
    
        アメリカ批判のポスター                          ホーチミンの退勤ラッシュ
 
 
 通勤にはオートバイが足の代わり すさましい単車の軍団