年金者組合別府支部がコロナ感染症の影響で5年間自粛していたバス旅を再開したので参加してまいりました。 バス旅は組合副支部長の生まれ故郷(旧院内町)である宇佐市内にある宇佐市指定の歴史建造物を見学する日帰りバスツアーで、18名の組合員さんが参加背れました。 歴史建造物の見学は別府駅前を9時に出発して、途中組合員さんを拾いながら福田副支部長の実家前を通って、まずは石橋の御沓橋(みくつ)へ、次にその川下に当たる鳥居橋へ、鳥居橋は橋げたが4つある立派な橋ですが、今は軽い車と人が渡る橋となっており、大型の車はその横にコンクリート橋がかけられている。 二つの橋見学を終えて、次は川の絶壁にえぐられた洞穴に観音堂が設置された鷹栖観音堂へ、観音堂へは、これも変わった吊り橋を渡り対岸へ着くと、遊歩道の周りには咲きはじめの紫陽花が植えられ、開花時には紫陽花と観音様参りに訪れる人が多いのではと想像しながら、洞穴に設置されている観音堂への石段を登る。 観音堂のなかは地元の人が毎日世話をしているのか、真新しい線香とロウソクが備え付けられ前には座布団が置かれている。観音像は見た目では古い様には見えないが、両隣の部屋には木材一刀彫の仏さんが安置されていた。 観音堂を後にして宇佐市が管理している平和資料館へ、平和資料館には戦前宇佐に在った航空基地のゼロ戦や特攻機が展示と、当時航空兵が残した手紙などの品々がガラスケースの中に保存されていた。当日は語り部の方が休みとのことで話を聞くことは出来なかったが、今のウクライナ情勢やパレスチナ情勢をテレビ画面で見るたび、人間として絶対にやってはいけないことが戦争、戦争を知らない私ですが、今は毎月9の付く日の3回は九条にちなんで別府駅前で九条無くすな、平和憲法を守れの署名活動をしています。 平和資料館を後にして航空基地の在った掩体壕の見学に、掩体壕は空襲から飛行機を守る格納部屋で、資料館のある周りには幾つもの掩体壕があり、その一つには多くの学校や団体などから寄せられた千羽鶴が展示されている。その掩体壕前の芝生で昼食休憩とする。 昼食を終えると東光寺に安置されている五百羅漢の見学に、境内の中に入ると石像の仏がづらりと並べており、石造の仏に圧巻させられる。仏の顔は一つと同じものはなく、見つめていると自然と笑いが出てくる。 東光寺を後にして最後の双葉の里へ、ここは相撲界の横綱双葉山が生誕した地で、今では双葉山を祈念して四季折々の催し物が行われており、中でも11月の菊花展は有名で、私も何度か訪れたことがあります。資料館には双葉山をはじめ相撲界の歴史物が展示されています。 歴史建造物の見学を終えて、帰路には少し時間があったので三和酒造の辛島虚空乃蔵に立ち寄り、トイレ休憩を兼ねた種類の土産物を買い求めて帰路につきました。コース案内をして戴いた福田さん、ドライバーを引き受けて頂いた後藤さん、お世話になり有難うございました。 |
掩体壕前で記念撮影 |
最初に訪れた御沓橋 鳥居橋前で記念写真だが逆光のため橋が見えない |
鳥居橋の全景4つの橋げたが市の遺産になっているとのこと |
鷹栖観音堂に行くにはこの吊り橋を渡っていく 吊り橋の吊ロープは手前から中央までしかない |
橋の上から見た鷹栖観音堂 斜め横から見た観音本堂 |
本堂前から見た観音堂 洞穴の中に建てられている 本堂左部屋に安置されている一刀彫の仏様だが名が判らない |
右部屋に安置されている2体の仏様 右が観音様なのかな? 平和資料館内の 実物のゼロ戦 |
特攻機の実物大 掩体壕の碑 |
掩体壕のなかにはエンジンと破損したプロペラがあり、両側には千羽鶴が吊り下げられている 同じものが一つと無い仏の顔 |
五百羅漢の石仏 帽子をかぶっているから地蔵尊になるのかな? |
別の個所に16体の仏が祀られている 四季折々に催し物が行われている |
正面の双葉山資料館では土産物店も兼ねている 正面の建物が双葉山が生まれた家 |