2008年7月22日(水)
登山口14:02−本丸跡14:37−14:47井上口(いかみぐち)15:08−登山口15:17 駒山城跡は南北朝時代に赤松氏によって築城されたと伝えられているが定かではないが、今ある城跡は戦国時代の白旗城の出城として築城されたもので、標高263mの駒山の山頂にある。 駒山城の建築が後の日本各地の山城城郭の基礎になったと伝えられる痕跡が残っていると言われるが、その特徴として曲輪跡や石積み・土塁・堀切・井戸跡などがあるらしいが、14時と言う真夏の一番暑い時間帯に登ったので全く気づかなかった。 駒山には南の尾根からと東の麓井上(いかみ)からの登山道があり、私たちは南の登山口に当たる地蔵尊の前に駐車して緩やかな尾根を登っていくと目の前に岩盤が立ちはだかる、岩盤を乗り越え100mも進むとさらに大きな岩盤が現れ、岩盤の横に馬の蹄跡と記された標識が立っていたので、岩盤を良く観ると確かに馬蹄の跡らしきものが残っている、その時代に重たい荷を馬に運ばせるために作ったのだろうか? さらに100mほど進むと羽山口・井上(いかみ)口分岐に出た、分岐から少しあがったところに大岩が現れ、その横に荷置岩と書かれている、大岩から一気に上ると広々とした本丸跡に出た 本丸跡には休憩用のベンチが設置され、木陰のベンチを探ししばし休憩、ベンチからは上郡の市街地が一望に出来、北西の方向に城跡らしいものがあるので行って見たが、誰も行かないのか道は荒れ蜘蛛の巣だらけだったのであきらめ、駒山に来る途中登った白旗山が見えるかと北東のほうまで行ってみたが杉の木立に阻まれ見ることが出来なかった。 下りは井上分岐から井上口へと下るが、急坂のためか道は九十九折に下っており、登山口近くに古墳群と記された標識が立っていたが、見学する時間もなくなったので車に戻り、汗を流すため建交保養センターに立ち寄ったが、湯船が一つしかないとのことであきらめ、以前尼子山に登ったとき相生の白龍城(ペーロン湯)で汗を流し帰路に着いた。 (駒山の由来 岩盤に馬の蹄の跡が残っているところから名づけられたと伝えられている) |
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