仙崎港から青海島・萩市へ


                                                               当ての無い旅六日目


 当ての無い旅も多分今日で終わりになるのかな、姉さんが6日には他用があるので5日には家に帰りたいとのこと、時間的には早いが車を宿の駐車場に置いてとりあえず金子みすず記念館へ、記念館の開館は9時からだが早くから出勤していた学芸員さんの計らいで会館の中に入れていただき廊下伝いだが主要な所だけ見せていただいた。
 記念館を後に青海島へと車を走らせ、青海島の駐車場に着くとここには能書き好きな係員が居て以前出会った芸能人などの話を得意げに話し出すが、私にとって芸能人なんかはどうでも良い存在にしか移らない、海上からの見学は時間的に早いので船は出無いと云う、係員の一つ良い所は高い金払って会場から見る奇岩も陸から見る奇岩も同じで、彼は陸から見る奇岩の方が好きだと言う。
 彼の案内に従って奇岩巡りの遊歩道へ、日本海の荒波に晒された奇岩は素晴らしく、場所によっては目が釘付けになるが次の行程を考えると何時までも見入ることは出来ず青海島を後にする。


    

金子みすづ資料館 


     

          金子みすづ像                                   青海島の奇岩 


     

青海島の奇岩 


     

青海島の奇岩 


   

  
 青海島の奇岩


   青海島から萩市内へ、萩市内では明治維新で功績を称えて数多くの騎士達が居を構えていたと言われる町並みを見学して小倉に入院している甥子の病院へ。
 小倉の病院にへはどのルートを行こうかと思案しながら国道を中国道へと走らせ、途中から甥子の病院をナビに登録すると直ぐ目の前の山道をユータウンする別の国道を示したのでナビに従って山道を国道に出た所で前輪右側がパンク、国道に止める事が出来ないので10m先に名前を忘れたが中学校の正門が見えたので邪魔にならないよう安全なところに車を停止してパンクの修理に掛かる。
 パンクの修理には以前三度程行った経験があるのでその時の知識を生かして取り掛かるが、タイヤを固定しているナットが緩まず四苦八苦していると学校に用事のある教育委員会の方々が来て「パンクですか、大変ですね」と言って手伝ってくれたが、やはりどうにもならずJAFを呼ぶことに、正門を邪魔していることに侘びを言ってJAF担当者が来るのを待つことに。
 JAF担当者を待つこと20分、やはり彼らはプロ、あっと言う間に修理を終える、JAF会員だったため修理代諸々全てが無料、ただスペアタイヤのため高速でも100キロ以上出さないように、そして100キロ以内でタイヤの交換を行うよう言われたので宇佐までの距離を測ると120キロある。
 係員の言われたことを守りながら甥子を見舞い、姉さん行きつけのスタンドでタイヤの交換を依頼すると明日の昼までには出きるとの返事。
 家についてこの6日間何処をどう走って何処を見学したのか二人で話し合ったが、地名や場所が前後して二人で笑い出す始末、何時もなら何処から何処へ、何処を見学してと下準備をするのだが、ここまで書いてきたとおり、とりあえずその場所に着いたならその近くで知っている地名や観光場所が頭に浮かんだら行き、それも車のナビ頼りで行くので全く覚えていない。
 尼崎から別府に転居と言うことで関西や北陸への中継地点が無くなるとの思惑から最後(?)の長旅?を終えた満足感は話のタネになるだろうと思っています。
 転居後パソコンをはじめ全ての荷物が半月以上も遅れ、それからパソコンネット手続きを始めたので全てが大幅に遅れ今日になってしまいました。


    

            萩の下町を行く                              高杉晋作生家


              

 
             高杉晋作像                            萩城の謂れを読む姉さん


     

               木戸孝允生家                      金毘羅社・円教寺(高杉新作・伊藤博文菩提寺)


     

             萩城 正門                                   萩の武家屋敷


 

学校の校門前でパンクの修理を試みたが手に負えずJAFスタッフを待つ 


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