2008年07月18日(金)

 今年一月に企業定年になってからOB会員の一員となって初めてOB会取り組みの行事に参加してまいりました。

 今回の取り組みは宇治歴史散策として宇治上神社・源氏ミュージアム・平等院・山本宣治墓参と七月の暑い日差しを浴びて短い時間での散策でしたが、諸先輩方々との有意義なひと時と昼食会での懇親会を深め帰路に着きました。

 宇治上神社は京都の世界文化遺産に指定され、901年に醍醐天皇が社殿を築造したと伝えられ、1911年(明治44年)に改修されたと記されている、境内には宇治七名水の一つである桐原水が今日まで枯れることなく湧き出ている井戸があるが、生水では飲まないないで下さいと記されているのは現在の世情を現しているのかも知れません。

  

宇治上神社入り口と本殿

 源氏ミュージアムでは紫式部が源氏物語を書いてから今年で千年を迎え、その当時の歴史物を展示して紫式部の千年祭を祝していた。

  

    東海自然歩道を通って源氏ミュージアムへ           源氏ミュージアム入り口

 平等院では古代蓮の花種が発見され、その蓮を大きな瓶で育て開花した蓮を境内に展示しているため多くの参拝客が一目見ようと訪れ賑わっている、古代蓮は現在私たちが見慣れているピンク色の蓮花と違って、白色で清楚な感じを漂わせ平等院とマッチしているのかカメラを向ける観光客も多い。

  

          宇治橋                       平等院入り口

  

平等院の全景

平等院の鳳凰

 山本宣治の墓は高台の善法墓地の中にあって、墓石の周りを低木で囲い、一際目立つ存在感を示している。

 山本宣治は戦前1928年労農党から衆議議員になり、治安維持法に反対したため、東京神田の旅館(光栄館)に止宿していたとき、芝浦の労働組合と偽って面会を求めて来た右翼七生義団の黒田保久二が山本宣治に議員辞職勧告書を突きつけ、断った山本宣治の隙を狙って頚動脈を鋭い刃先で突き刺され殺害されると 井上昌三 勤労協講師が墓前で熱く語られていた。

  

宣治の墓前と背面文碑

 山本宣治享年40歳(満年齢39歳)の生涯を終え、死後日本共産党員の一員に加えられる、彼が1929年3月3日に大阪天王寺公会堂で開かれた全国農民組合大会で語った言葉として「実に今や階級的立場を守るのはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから・・」と言うくだりの一文句が宣治の墓碑銘として墓碑の背面に刻まれている。

        

山本宣治墓碑と墓碑前で勤労協の井上昌三さんから山本宣治の偉業の説明を受ける

 貧民を愛し、権力と闘い、平和を尊ぶ山本宣治、戦前に彼や宮本憲治のような勇気ある人たちが居たからこそ今の日本があるが、権力者は私たちが隙を与えれば戦前の栄華を取り戻そうと労働法制の改悪や消費税の増税を図ろうと狙ってきている。

 山本宣治の生き方を学び、今の世の中を格差の無い平和な世の中に作り変えたいと彼の墓前に誓ってきたものです。

    

             白桔梗と紫桔梗                      蓮花