群馬県伊香保温泉(天坊) 2008年11月10日

 11月10日・11日に私鉄「連帯する会」の第24回全国集会が群馬県伊香保温泉で開催されました。

 私もその集会に参加すべく前日9日に尼崎から車で駆けつけ、赤城山大沼湖畔で前泊し、集会開催時間までの時間を日本百名山の一つ赤城山の最高峰黒檜山(くろびやま)に登頂して13:00分に会場に駆けつけました。

  

阪井清二代表世話人の挨拶

 会場は多くの参加者で賑わい、開会のあと阪井清二代表世話人の挨拶で、国民の生活危機や雇用破壊に無策の自民・公明内閣を批判して、来年9月までには必ず行われる総選挙で政治の中身を変える闘いを呼びかけ、地方バス路線廃止が急ピッチで進むなか、規制緩和で安全輸送の破壊にも触れ、労働組合や利用者とともに地方バス路線と安全輸送を守る闘いとあわせて、非正規労働者の正社員化、待遇改善・労働時間の短縮・労働条件の改善などにも取り組んで行きたいと述べ、そのあと関西勤労者教育協会の講師でもある前代表世話人井上昌三氏が「小林多喜二と現在、私達に語りかけてくるもの」と題して講演がありました。

講演する 井上昌三氏

 井上昌三氏は小林多喜二が警察権力の拷問で虐殺されてから75年目にあたり、多喜二の作品である「蟹工船」が日本のマスコミや海外にも関心が深まってるとして、「蟹工船」が出版された当時の日本政治状況はどうであったかと語り、当時は金持ちの金持ち政治が行われ、現在とよく似た格差社会であった。

 1922年日本共産党が創立されたが、3年後の1925年治安維持法が公布され日本共産党員および支持者は拷問や虐殺や多くの方が検挙され、軍国化への道に進んで行ったのも、現在改憲派が台頭してきて戦争美化論や田母神俊雄前航空幕僚長が戦争は正しかったと論文を出すなど、小林多喜二が虐殺された時代へと逆戻りしているのも、派遣労働や非正規労働者を大量に生み出す日雇い労働が常態化してた小林多喜二の時代と似てきている。

 「蟹工船」で未組織労働者が酷使され、立ち上がった労働者を援護してくれると期待した軍隊は逆に労働者を痛めつくし、そこで労働者は軍隊たりとも労働者の味方ではなく、資本家の手下でしかないことを知る。

 井上昌三氏は、なぜ「蟹工船」が非正規労働者に読まれるのか、として第1に職の不安、第2に職場での無権利状態、第3に生活するには少ない賃金、第4に共通の友人がいない、第5に「蟹工船」のように仲間と闘いたいが、現状ではそれも出来ないことを挙げています。

 その中で私鉄総連が昨年の秋闘で「非正規労働者の正規化をストライキでたたかったことに、その評価と、連帯する会」の運動と活動を評価し、なかでも「連帯する会」が25年間私鉄、バス職場でがんばってることに歴史の大きな発展があると強調されてたことに感動を覚えたものです。

 井上昌三氏の講演のあと各会からこの一年の活動報告が行われ、阪急からは正規・非正規労働者の現状として、車掌の6割が子会社の臨時従業員との報告が行われました。(阪急の報告

 各会の報告と分散会の報告は、来年2月に発行される交流誌をお読みください。交流誌は各会の「連帯する会」会員までお申し出下さい。

 

サブスローガン

 私は集会終了後、榛名山二登り、翌日谷川岳天神峠までの登山をへて帰路に着きました。