赤松一族の発祥地 登山口9:40−307ピーク10:34−三の丸11:30−白旗山頂11:35−(昼食)−12:40二の丸12:45−櫛橋丸山跡12:52−登山口13:35 一ヶ月ぶりに西播磨の山と言うか山城に上ってきました。播磨一帯は南北朝時代に赤松則村が志方中道子山城(赤松城)を築いて以来、赤松一族が治めてきたため、播磨の一部を除いて全ての山城には赤松の山城と記されている。 中でも赤松則村の三男(則祐)と四男(氏則)が北朝と南朝に別れ戦い北朝方に在った氏則の甥によって一族郎党が切腹に追い込まれたことは有名な語り草として残っています。 白旗山は赤松氏発祥の地で山頂には城跡碑の立つ一等三角点で、登山口は国道からでも見える大きな白旗城跡と書かれた看板が立てかけられ、鹿除けの策に中に山陽自然歩道白旗山記された標識がある。
白旗山への案内 鹿除けの策を開けて三分も進むと五輪の塔と記された標識を見つけ、どんなものかと見に行ったのが藪漕ぎの始まりになった、五輪の塔から上へ登る整備された道があったので「この道は尾根越えで三の丸まで行けるのでは・・」と思い、五分も登ると観音堂に出た、。
観音堂 観音堂裏の登山道 整備された道はここまでで、尾根へ通じる道をお堂の周りを探すとそれらしき道があったのでさらに進むと、道は獣道化してきたが、引き返すのも癪なので立ち木に掴まりながらさらに登っていくと、今度はシダに覆われブッシュ化した所をここかなと足で道を探りながらブッシュと格闘して、やっと307m地点のピークに立つ。
シダのの藪漕ぎ 水曜登山はいつもながら藪漕ぎをして慣れているとは言え、真夏の汗を拭き拭きの藪漕ぎには同行の女性から不満の声、ピークからは岩盤の吊り尾根を通って杉木立を登ると広々とした三の丸跡に出た。
藪漕ぎから見る櫛橋丸山
一様に皆ほっとした気分のなか一歩登るとさらに広々とした本丸跡に着き、まずは一等三角点にタッチ。
山頂は南北に展望良くしたのか木々が切り払われ、狭い範囲ながらも眺望が開けている、広い木陰を選び昼食休憩とする、昼食メニューは各自が割り与えられた物を共同で戴くが、今回は良く冷えたソーメンとデザートにこれも良く冷えたスイカを戴いたが、私は料理が不器用なため、いつもながら同行者が持ち寄った昼食を戴くのみ、感謝・感謝のきわみです。
切り取られた木々の合間から
食後のデザートスイカ 昼食を終え、下り道は当初登る予定であった正規の登山道を下るが良く整備されており、同行者の女性から「こんなに良い道があるのになんで・・」とまたも、藪漕ぎをしながら眺めていたとんがり山の櫛橋丸山に立ち寄ってみると360度の展望が開けているが、木陰も無く強い日差しで暑く早々に引き上げる。
峠からの下り
峠までは緩やかで道も良く、峠からの下りは城への石積みが長い年月で崩壊して荒れたのか、苔むした石は滑り易く慎重に下り、林道に出ると立派なトイレ小屋が設置されていた。
林道を登山口に向かう途中五輪の標識を見て、ここから藪漕ぎが始まったと語り合い駐車場へ、時間も早いので次の目的地である山城の駒山に向かう。 お疲れ様 |