戦時中要塞の島

 今回水曜登山は山ならぬ紀淡海峡の友が島を散策に出かけました。

    

友が島の桟橋と島の案内図

お盆休みとあって私の娘も仕事が休みのため、5歳になる孫も連れて行くことに、友が島の展望台がある沖ノ島の最高峰コウノ巣山は120mの低山で、道も林道と変わらず広く整備されてるので孫でも大丈夫と思ったが、孝助松の浜でゆっくり磯遊びをしすぎたのか、展望台への登りでダウン、小展望台で小休憩のとき菓子パンを食すると元気になり大展望台に立つと、何度か訪れたこの展望台が一等三角点であったことは忘れていた。

  

   灯台に向かう途中から灯台を見る            灯台をバックに灯台展望広場にて 

  

孝助松の磯にて磯遊び

  

   磯でフナムシを捕まえようとする孫            小展望所から野奈浦乗船場を見る

 見晴らしの良い展望所は屋根付きの休憩所こそあるが風が通らないため、風の通る木陰を探し昼食休憩とする、冷たいソーメンとおにぎり、卵焼きにウインナーと色とりどりの昼食に孫も喜び、登りのダウンは何処へやら!

  

周りを円状の石垣で守られた一等三角点

 下りの砲台跡や宿舎跡を見学するときは静止も聞かず走り回ってる、本来なら南垂水から北垂水を廻って乗船場に帰る予定でしたが、急遽変更して野奈浦乗船場の浜で海水遊びをすることにして一気に下り、船出の時間まで童心に返って孫と海水遊びを楽しむ。

  

    野奈浦の浜で海水遊び                 加太へ向かう船

 汗を流すため加太国民休暇村に立ち寄ったが、時間が過ぎてたので入浴できず、帰る道々日帰り温泉を探したが見つからず尼崎の風呂屋さんで汗を流し帰宅。

船上から沖ノ島全景を見る

 友が島は戦時中大阪を米軍の空襲から守る砦として要塞が築かれ、島の半分に匹敵する地形が砲台跡や弾薬庫、隊員の兵舎に使用されその面影が今なお大事に保存されている、砲台跡は第一砲台から第五砲台まであり、特に第二と第三は大きく米軍のB29を迎え撃つとして築かれたが、時すでに遅くB29に届く機銃砲は無く、なすすべも無く終戦を迎える。

  

     第二砲台跡                        第三砲台跡の弾薬通路

 弾薬庫から砲台へは山の尾根にトンネルを掘り、今はそのトンネルを見学することは出来ないが、小さな島を要塞としてずたずたに、また国民を牛馬のように狩り出す戦争は絶対にやめ無ければならない、関西の近場として友が島を訪ね、今なお残る戦争の傷跡を見て、戦争がいかに無残なものなのかを確認してもらいたいものだ!

  

弾薬庫と将校の住居跡

 今回娘と一緒にこの傷跡を見て廻ったときに、来年の原水禁広島大会に参加したいと言った一言を聞いて、わが娘も大きく成長したと心に涙が流れたものでした。ありがとう。

  世界に戦火の無い平和の地球を作るには、日本国憲法第9条を各国が取り入れ守り実践することが大切です。特に大国である米国とソ連は憲法9条を制定してほしいものです