紅葉今が盛りの 2008年10月15日 自宅6:00−大台駐車場9:10−大蛇ー11:50−大台駐車場14:10−自宅19:10 初秋を向かえ北海道や東北、アルプスから紅葉の便りが届くようになったので、水曜登山も一足早く紅葉を楽しむべく大台ケ原に行ってきました。 大台ケ原に初めて訪れたのは41年前の夏テントを持って訪れたのが最初で、それから今回で8回目になるのではないかと思う。 最初に訪れた大台ケ原は大台有料道路が開通したばかりで、山上駐車場も路線バスと数台の自家用車が置けるスペースしかなく、宿泊所は大台荘と大台教会しかなく、数十人が宿泊すれば満室になるという静かな佇まいだったが、数年おきに訪ねる大台ケ原の山上は大きく変化し、今では数百台が駐車出来る大駐車場へと変わり、宿も増え大きな建物へと変化し、40年前の面影はなくなってきた。 40年前は小宿泊施設のためテント場も設けられていたが、今は自然保護のため廃止されたのは良かったが、誰もが気軽に山上周遊を楽しめるようにかどうかは判らないが、今回10年ぶりに訪れてみると、周遊道はコンクリートや木の階段がこれでもかと言うぐらいに敷き設され、大台の自然が人工的に破壊されて行ってるように思えてならない。 自宅を早朝6時に出発して大台山上駐車場に9時過ぎに着くと、すでに数十台の車が留め置かれている、15〜16年前に大台ケ原の紅葉に魅せられて、大台山上から大杉谷への紅葉の変化を見るため、10月初旬から11月中旬まで毎年4年間続けて訪れたことを思い出し語りながら日出ヶ岳へと向かう。
大台駐車場前の茶店 駐車場周辺 その大杉谷への登山道は崩落のため、今は通行禁止になってると案内が記され、周遊道かから見る樹木は近年鹿が冬場の食料として樹木の皮を食し、立ち枯れの被害が発生してるとかで樹木のほとんどに金網が巻きつけられ保護されている、私たちが登ってきた車道にも鹿や猿を数匹確認され感動したが、樹木にとっては生か死かの瀬戸際に立たされているのかも知れない。
大台原生林と日出が岳への階段 日出ヶ岳山頂から見る大高山脈は早朝ガスが発生しており、7月に登った八経ヶ岳はガスの一瞬の切れ間から遠望することが出来、山に発生するガスは10時ごろを目途に薄れる傾向があるためしばらく待つことにする。
原生林の中に一際の紅葉 また、日出ヶ岳から正木が原方面に目を移すと稜線は今が盛りと赤・黄色と紅葉が広がり多くの方がカメラを向けているが、私のカメラは電池切れ寸前を示してる、いつもは電池切れには注意を払ってるが、今回は確認しなかったのでやばいかなと思ったが、その通りになった。
日出が岳への登りに広がる紅葉 電池切れのカメラに変わって正木ヶ原からの紅葉やカメラチャンスは目に焼きつけ、同行者の余った写真を貰うしかないが、正木ヶ原は40年前に訪れたときは白骨化した立ち木が林立し幻想的な雰囲気を醸し出していたが、今はその面影も無く大半が倒れ、この現象は上高地の大正池に似てる(40年前の大正池は池の中に立ち木が林立してたが、今は観光用に人工的に数本が埋め込まれている)
日出が岳山頂から正木ヶ原を望む
正木ヶ原への紅葉と長い階段 大台ケ原は何度訪れても飽きることの無い山だが、ただ一つ無粋な場所がある、そこは牛石ヶ原である、牛に似た石の上に山にそぐわない神武天皇像が設置され、その像は南方を指差してる、神話の天皇と言えども南方を指差すということは第二次世界大戦で昭和天皇が南方東南アジアを侵略し、多くの東南アジア人民を殺戮し苦しめたことを思い出す。
逆光に映える紅葉に見とれる 修験者の像ならまだしも神聖な山にそぐわないこのような像は撤去してもらいたいものだ。 大蛇ーは壮観な展望が開け大台ケ原と名が付いていても、ここだけは別世界に紛れ込んだように、その風景に見とれていると下から吹き上げてきた風に帽子が飛ばされ、私の帽子は奈落の底へと飛んで行った、帽子よさようなら〜〜
大蛇ーの大岩と周辺に広がる紅葉 シオカラ谷に架かる吊橋も架け替えられたのか立派なものになっていたが、西大台が植物保護研究林に指定され、それに伴って登山道が新しく作り変えられ、以前は緩やかに駐車場まで続いてた道は廃止され、駐車場へは階段に次ぐ階段へと変わり大台の魅力がまた一つ失われたような気がする。 帰路は上北山村の「中荘温泉」で汗を流し19時10分帰着。
|