1967年大分県立竹田商業高校卒業生の還暦のつどいが標高1000mに位置する風光明媚な「久住高原荘」で行われました。

  

      高原ホテル全景                       受付ロビー風景

 私も卒業生の一人として参加してまいりましたが、卒業以来42年の歳月はやはり長い、若く見える人、ふけて見える人と様々でしたが、この間何度かお会いした人以外で初めて顔を合わせて見ると名前を思い出す人は少なく、私の名前を覚えていた人から声をかけてくれるときは嬉しさと、私が覚えてないことに失礼なことをしたかなとの思いでした。

  

食卓料理と開催挨拶

 竹田や大分在住の方が宿泊無く帰る都合上、つどいは17時から始まりましたが、特に恩師であった阿南先生の祝いの言葉の中で、皆さんは団塊の世代で今の日本を築かれてきたが、これも日本が平和憲法の中であったからこそだと思います。今の日本はきな臭く感じられるので今後の余生を平和を守るために頑張ってもらいたいと云われたことに私は大いに感動を覚え、参加してよかったと強く感じたことでした。

  

恩師への花束贈呈と恩師の挨拶

  

          還暦の乾杯                     3年生で同クラス生 右端が私

 宴の半ば阿南先生のところに行き、今一度平和についてお聞きすると三重町のあるクラブで平和について語られてるとのこと、そのためには九条の会をもっと大きくしなければならないと聞き、私も九条の会で頑張ってると伝えると笑顔が返ってきました。

  

二次会の席上

 私が在校中で各恩師の名前を覚えているのは一年生のときベトナム沖のトンキン湾でアメリカが引き起こしたトンキン湾事件が起きベトナム戦争が始まったのをきっかけに、当時社会科?の先生だった野田先生が何としてもベトナム戦争は止めさせなければならないと強く言ってたのを今だ忘れることはありませんでした。

記念撮影

 つどいも19時に終わり、宿泊者のみで二次会を行い夜の更けるまで楽しく歓談したあと床に就き、翌日朝食を終えたあと再開を約束して私は久住登山に出かけました。