おこじょ山の会

 国道30号線10:25−恋の谷10:50−登山口11:05−烏ノ塒屋山12:30・13:30−登山口13:50−恋の谷14:05−国道370号線14:30

 町村合併により宇陀郡が宇陀市になり、榛原から国道370号線沿いに烏ノ塒屋山(からすのとややま)と云う別名宇陀富士が有るので、故郷の富士を専門に登っている方が一緒に行かないかと誘われたので行くことにした。

 二万五千分の一の地図やネットで登山口を調べるが、いま一つ登山口がはっきりしない、唯いつネットに記されているのは恋の谷から登るのが良いと、しかし道は荒れて、特に夏場は草木が生い茂っているときは山への取り付き点が判りにくいので要注意と記されていた。

 地図によると麓の大蔵寺からも点線の登山道があり、寺までは林道が着いているので登れるのではと思い、登れたら恋の谷に下ろうと、国道370号線から大蔵寺へ通じる車一台がやっと通れる道を登って行くと、お寺とお墓に分かれる分岐にお寺への進入禁止の立て札が道の真ん中に立てられ、タウンすることもバックで引き返すことも出来ないのでお墓へ行けばタウンすることが出来るのではとお墓に方向を切り、お墓に着くとタウンする場所が有り、車を止めてお墓から高見山が見える山並みを見ていると、無念仏の墓石が倒れ、私の左足親指を直撃、そのあと痛みを堪えながら大蔵寺へ。

 

大蔵寺

 大蔵寺に着くと車が一台とまっていたので、声をかけると住職らしい人が出て来たので、登山道を訪ねると「ここから登る登山道もあるが、登山者のマナーが悪く、また以前事故が有った経緯があるので、現在この寺からの登山は禁止し、お断りしている」との返事を受け、礼を述べて恋の谷に向かう。

 登りは恋の谷から登っても下りは別のルートを下ることも考えて国道370号線の国道わきの広場に車を止めおく。

 恋の谷、なんてロマンチックな響きだろう、恋の谷に通じる林度を歩きながらどんな谷なのか想像が膨らまるが、林道の両脇は杉・桧の植栽林で、恋の谷と思える入る口についても廃材置き場が有るだけ。

 さらに進むと廃家らしい家の前の広場に車が止まっており、その横で老人が作業していたので「ここが恋の谷ですか?」と問うと「そおだよ」と返事が返って来る、老人の名は菊谷さんと云って、恋の谷の謂れを聞くと「良く判らんがそう言う事もあったんでは」と云い、昔はこの周りには多くの家が有り、安寿さんが住む尼寺もあったと云う。

  

     今は住んでいない菊谷さんの家         自分の家を指差す菊谷さんと話聞く同行者

 指を差しあの家も私の家だが今は住んでない、この奥に一件あるがそれも住んでいないと云う、いまは都会や交通の便利の良い所に出て行くときに、家屋跡や田畑に杉・桧を植えて行ったので、いまはその面影すらないと云う

  

  登山口にある廃家 恋の谷にはこの2軒だけ         登山口の指標

 烏ノ塒屋山への登り口を聞いたが、私の耳が悪いのかナマリがきつく良く聞き取れなかったが、礼を述べて林道を遡り、林道脇に鉄塔が現れた場所から300mほど登った所から林道が無くなり登山道へと変わり鹿除けのネットが現れた。

  

     壊れた林道                         鉄塔の周りはススキの原

 ネットでは鹿除けの柵を潜る? 柵の右尾根を柵伝いに?と残片的にしか覚えていない、このときナマリがきつくてもしっかり聞いておくんだったと思っても遅い(このとき柵の手前50mの所に山頂への指標が有ったのを見落としている)

  

    鉄塔から見た山並み                   鹿除けフェンスの周りは草木に覆われている

 鹿除けの柵ばかりが脳裏を横切るので、柵の所から山頂を見て、とりあえず柵内には入り右斜面を見るがそれらしいものは無く、左斜面を見ると獣道(イノシシ)が見えたので、何時ものことながら獣道を登り始めたのが大きな誤算。

 獣道を10mも進むと低木の桧と萱、イバラに行く手を阻まれ、おまけに急斜面とあって遅々として前へと進めないなか、桧の枯葉が首筋から背中に入り込み首筋や背中がチクチクと痛いがそんなことは言ってられない。

  

草木と低木の檜との戦い

 斜面を右へ左へと草木を掻き分け、小枝に掴まり苦労の末尾根に出たが、今度は金網の鹿除け柵内とあって出るに出られない、どうしたものかとフェンス沿いに出れる場所がないかと移動していると、フェンスの横に攀じ登れる木が有ったので攀じ登りやっとの思いで柵外に出ることが出来た。

 フェンスの外は杉の植栽で下草こそ無いが、間伐された杉がそのまま放置されているので、今度は間伐材の上へ下へと活路を見付けて登って行くと、山頂に近付いたのか木々の間から空の明るさが見える所に登山道の指標が打ち込まれていた。

  

       山頂手前の指標                   山頂の標柱と梵字石

 指標は恋の谷と竜門山を指している、恋の谷方向を見るとフェンスの横をまっ直ぐ下っている、ここに指標が有るぐらいだから下にも有ったはずだと思うが、何処で見落としたのかと思ったがあとの祭り。

 山頂は広いが回りを木々に囲まれ展望は皆無、中央に大蔵寺から持ち上げられたのか梵字が刻まれた石塔が安置され、その横5mの所に三等三角点の標石が埋め込まれていたがなにか寂しそうだ。

  

山頂三等三角点と記念撮影

 昼食休憩のあと下り道を探したがそれらしいものを見付けることが出来ず、またも藪コギはごめんと、先ほどの指標まで戻って恋の谷登山口を確認するべく下ることに、登山道は鹿除けフェンスに従ってまっすぐに下って行くが、素直に歩ける道では無い、左右から草木が覆いかぶさり斜度もきつく、フェンスに掴まり草木を払いのけて下るのは登りと大して変わりは無いが、桧の枯葉が首筋に入ることは無い分だけ助かる。

 フェンスが急に右カーブした所で右方向を見ると、登りで取り付き点は何処だと右往左往した所だが道はまだまだ下へと続いている、谷川まで下ると登山道の指標が谷川の手前にあった、本来ならこの指標は谷川の右岸に設置されるべきだと思うが、谷川を渡った左岸では草木の伸びている夏場では絶対に見落とすと思う。

 指標は鹿除けフェンスから約100m手前にあり、草木によって気付かなかったことにあれこれ愚痴を言っても仕方ない。

  

   鹿除けフェンスの横を下る                  下り終えたところに指標

 恋の谷まで戻り、この谷でどんなロマンスが有ったのかと思いを巡らせながら思う事は、この北側に淡談神社・御破裂山伝説があり、その当時の戦から二人が追ってから逃れ、この谷に落ち延びて来た谷合いで、年月を重ねる間に集落が出来、いつの間にか二人のために名付けられた谷かもと推測しながら国道まで戻る。

 帰路の途中、汗を流すため榛原の保養センター「みはる温泉」で汗を流し帰路に着く。