湯浅町街並みハイクと

湯浅城跡(青木山89.1m)

国民宿舎の正面

 某会社67期生の有志で湯浅町街並み散策に出かけて来ました。

 67期生の有志は年に4回ほど飲み会を行い、3年に一回は泊りで各地の観光を兼ね一泊旅行を行ってきましたが、今回は和歌山県湯浅町に重要伝統的建造物群地区があり、また日本伝統的な醤油発祥の地でもあるので出かけて来ました。

 湯浅駅に着くと宿から迎えの車に乗り込み宿へ、宿は「国民宿舎 湯浅城」で日本ではここだけしか無いといわれるお城構えの宿で、列車や高速で湯浅の町を通過するとき高台にお城が見える宿です。

  

       湯浅の町から見る 国民宿舎「湯浅城」                      宿舎の玄関

 宿の天守閣が宿泊場で、宿に着くと4階の展望所に登ってみると目の前の小高い山が戦国の湯浅城で山頂には三角点があると記されていたので、夕食時間までの時間を利用して登ってみることに、フロントで登山口を尋ねると「登山口は見の前の右尾根のうしろにあると言う」登山口には誰でも自由に入山出来ないように鍵がかけられているので「鍵を持ってくるので少しお待ちを」と言って鍵と地図を渡され、登山口まで車で送ってくれた。

  

    宿舎の部屋から見る湯浅の街並み 奥に紀淡海峡も見える          湯浅城への登り口

 登山口を入ると「なるほど鍵が掛けられている」鍵を外して少し登ると道は二手に判れ、左曲輪、右主郭と記されていたので、とりあえず左曲輪の方へ行って見ると、そこは展望所になっておりベンチが設置されていた。

  

       登山口 この先10mのところに鍵がかかっている               湯浅城跡 主郭(山頂)

 しかし登山道はここで終わっており、どうしたものかと思案したが戻るのももったいないので主郭を目指してヤブコギを試みる、地図に記されている櫓台を過ぎ、掘切を越えると主郭(本丸跡)に出た、主郭あとは広く北に面したところに三角点の標石が埋め込まれていたが、何故か標石の上部をガムテープで巻きつけてある、ガムテープの辺りは等を記したところで割れているのかと確認したが割れているわけでもない、なんでと思いながら石の大きさから四等三角点であることが判る。

  

      ガムテープが巻かれた三角点 等級が見えない                      本丸跡

 標石の後には「青木山」山の名が記され、その横に89.1mと記されていた、山頂は木々に覆われ展望は皆無、この城跡で唯一展望が利いている場所は登りに立ち寄った曲輪だけで、それも海岸線と湯浅の街並みだけの狭い範囲だけ。

  

              第二曲輪(二ノ丸)跡                            湯浅城跡の石垣

 鍵を掛けて下山し宿に戻ると、フロントの方が「どうでした」と聞くので三角点についての話しをして入浴、夕食は私たちと二人だけの宿泊者だけ、夕食後部屋で夜のふけるまで各自が今の状況や今後の生活を語りながら就眠につく。

  

        夕食メニュー このあと三種類追加                            宿舎の中庭

宿の部屋から見た湯浅城跡

 翌日駅まで送って貰い、駅に記された街並み案内を頼りに重要伝統的建造物群地区を目指していると、私たちを観光者と思ったのか観光案内所の方が湯浅町マップを持ってきてくれたので、今度はマップを頼りに街並みを右へ左へと歴史ある街並みを散策。

                  

歴史ある熊野詣で案内の標石

 湯浅町はなんと言っても醤油製造元を訪ねなければ意味が無いので製造元を訪ねると、竜野市の醤油製造元と違って醤油の販売所になっており、製造を見学したい方は販売所に申し出てくださいと張り紙が記されていた。

  

日本で最初の醤油発祥の製造建物

  

古い建物が残る街並み 左は味噌製造元 右は醤油製造元

 よって製造過程の見学は諦めて街並みに残っている古い健造物を求めて通りを右へ左へと歩いていると、他所の街並みとは違った風景にぶつかった、それは各家が自分の家で取れた農産物を軒下に並べ観光客に販売していることだった、それも金を入れる箱を置いて販売員は誰もいない。

街並みにはいたるところに熊野古道の案内標柱がある

原発問題がクローズアップされている時、湯浅の宿舎からは自然エネルギーに満ちた風力発電の風車が四方の山に見える。

アメリカ・ソ連・日本と甚大な被害をもたらした原発は世界の国から今すぐにでも撤去し、再生可能な自然エネルギーに変えるべし!!

 一通りの観光、街並みハイクを終え列車に乗り込み大阪で遅い昼食を摂ったあと次回の会う日を決めて散会しました。